「AIが怖い」と思っているあなたへ — 高校教員がアプリを4つ作って気づいたこと
「AIが怖い」と思っているあなたへ — 高校教員がアプリを4つ作って気づいたこと
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「先生、AIってやばいの?」

授業中、生徒にそう聞かれた。正直、答えに詰まった。「やばい」が「すごい」なのか「怖い」なのか、その生徒自身もたぶんわかっていなかった。ニュースで見た。親が話していた。YouTubeで誰かが叫んでいた。だから聞いてみた。それだけだったと思う。

僕は何か曖昧なことを返した気がする。「まあ、使い方次第じゃない?」とか、そういう無難なやつ。教員としてはかなり無責任な返答だった。

でも、この問いは2025年から2026年にかけて、日本中の教室で、リビングで、職場で繰り返されている。「AIってどうなの?」「仕事なくなるの?」「子どもに学ばせた方がいいの?」。質問は増えた。でも、腹落ちする答えを持っている人はあまりいない。

僕も最初はわからなかった。だから触ってみた。

なぜ今、急に騒がしくなったのか

「AIはすごい」「AIが世界を変える」。こういうフレーズは10年前からあった。で、実際はどうだったか。ほとんどの人にとっては関係のない話だった。

変わったのはこの1〜2年だ。

核心はシンプルで、言葉で頼めば、言葉で返してくれる機械ができた。いわゆる生成AIだ。それだけ。でも、それが全てだった。

以前の「AI」は、プログラミングができる人のおもちゃだった。Pythonでライブラリをimportして、データセットを整形して、モデルをトレーニングして——その時点で99%の人は脱落する。技術者のための技術者による道具。普通の人が「AI使ってみよう」と思える世界ではなかった。

今は違う。日本語で話しかければ動く。「この文章を要約して」「メールの返信を考えて」「子どもの自由研究のテーマを提案して」。入力はキーボードかマイク。出力はテキスト。間にあるのは、コードでも数式でもなく、会話だ。

(ちなみに、このAI解説的な文章自体がAIで量産されているという皮肉がある。「AIとは何か」を検索すると、似たような記事が無限に出てくる。情報は増えた。理解は深まっていない。)

教師がアプリを4つ作って見えた景色

僕は高校教員だ。プログラミングは専門ではない。独学で、Claude Codeというツールと対話しながら、社内向けのアプリを4つ作った。PDF管理ツール、授業の進度表アプリ、出張旅費の申請システム、席替えランダマイザー。さらに一般向けにタロット占いアプリまでGoogle Playに出した。

「AIを使えば誰でも簡単にアプリが作れる」と言われている。で、実際はどうか。

全然簡単じゃなかった。

AIは魔法の杖ではない。優秀だけど指示待ちの新人、という表現が近い。こちらが「何を作りたいか」を明確に伝えられなければ、的外れなものが出来上がる。「いい感じにして」では「いい感じ」にはならない。要件を言語化し、フィードバックを返し、何十回も壁打ちして、ようやく形になる。

正直、コードレビューで55件の問題が見つかったときは笑った。AIが書いたコードをAIにチェックさせたら、タイムゾーンのバグ、課金処理の不具合、セキュリティの甘い箇所が次々と出てきた。AIが書いたものを検証するのも、結局は人間だ。

それでも——対話しながら形にしていく速度は、自分一人では到底無理だった。4つのアプリも占いアプリも、Claude Codeなしでは確実に存在していない。要件定義から設計、実装、デバッグまで、全ての工程で対話相手がいる。この体験は、「AIが仕事を奪う」という表面的な議論とは全く違う手触りだった。

「便利だから使う」の、その先

AIは便利だ。一度でも使ったことがある人なら、たぶん異論はないと思う。

ただ、正直に言うと、ちょっともったいないなと思っている。

生徒を見ていて感じるのは、AIの使い方が「検索エンジンの上位互換」で止まっている人がかなり多いということだ。グループワークで課題が出れば即座にAIに聞く。答えが返ってくる。解決。次の課題。また聞く。また解決。

それ自体は悪いことじゃない。最先端のツールに自然に手が伸びて、使いこなしている時点で、それはそれですごいことだと思う。

でも、なんというか——最新のiPhoneを買って、電話とLINEしか使っていない、みたいな感覚に近い。性能に対して、使い方が追いついていない。かなり持て余している。

世界中の企業が莫大なリソースを費やして、日々進化させている技術だ。それを「わからないことを聞いて答えてもらう」だけに使うのは、さすがにもったいない。

どうせ使うなら、もっとクリエイティブなことに使ったほうが楽しい。

AIの使い方——問題解決だけで終わらせるか、何かを生み出すか

僕がアプリを4つ作ったのも、突き詰めれば「AIで何か作れないかな」という好奇心だった。問題を解決してもらうんじゃなくて、一緒に何かを生み出す。その過程が圧倒的に楽しかった。

もし大多数が「作る側」に回ったら

「AIで誰でもクリエイターになれる」。こういうことを言うと、必ず批判が出る。「それは本当のクリエイティブじゃない」「AIが作ったものに価値はない」。気持ちはわかる。たしかに、悪い側面もあるかもしれない。

でも、僕は悪いことだとは思わない。

プログラミングの専門知識がなくても、アプリが作れた。英語が得意じゃなくても、ブログの英語版が書けた。デザインを学んだことがなくても、占いアプリの世界観を形にできた。これまで「できる人」だけのものだった領域に、「やりたい人」が入れるようになった。

多様な人々がAIと共にクリエイティブな作業をしている風景

大多数の人間が生成AIを使ってクリエイティブな作業をするようになったら、そこから何が生まれるかは誰にもわからない。でも、少なくとも「聞いて、答えてもらって、終わり」よりは面白いことが起きると思う。

技術の進化に、これだけ多くの人間が巻き込まれかけている。正直、僕はそれにわくわくしている。

冒頭の生徒に、今なら少しだけまともに答えられる気がする。

「やばいよ。でも、怖がってるだけじゃもったいない。何か作ってみなよ。」

See ya!

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